「いい人」のフリをして、相手の時間を奪っていないか?――亞猫が考える、一番クールな優しさの話
「男女の友情って、結局どうなんですか?」
お店のカウンターでそんな話題になるとき、僕はいつも「ルールとリスペクトがあれば余裕で成立する」と答えています。でも最近、その「ルール」が少しずつ曖昧になっているような、そんな違和感を抱くシーンがよくあります。
例えば、 「友達だから」というラベルを貼って、相手のパーソナルスペースを無断で侵食する過剰な距離感。 「浮気もOK」という自由なルールに見えて、その実、お互いに向き合う責任をパスし合っているだけの関係。 そして、「年上もアリ」という社交辞令のシャワーを浴びて、引き際を見失ってしまう大人たち。
本人はスマートに振る舞っているつもりかもしれません。でも、1000種類のゲームを見守る店主の視点から見ると、隠しているつもりの「本音」や「迷い」は、驚くほど透けて見えてしまうことがあります。
それは友情という名の甘えだったり、優しさのフリをした「ただの無責任」だったりします。 そして残念なことに、その「透けて見える本性」は、周囲には少しだけ「気持ち悪いもの」として映ってしまいます。
だからこそ、僕は今あえて「希望を持たせない優しさ」というスタンスを提案したい。
「あなたは友達だけど、それ以上にはなれない」
「ここから先は、僕が踏み込んではいけないエリアだ」
そうやって明確に境界線(バウンダリー)を引くこと。 それは相手を拒絶することではなく、相手の大切な時間を「叶わない期待」で浪費させないための、最大のリスペクトだと思うんです。
ボードゲームも、ルールが明確だからこそ、その枠の中で全力で笑ったり、悔しがったりできますよね。人間関係も全く同じです。 「ここまではOKだけど、ここからはダメ」 その不自由な一線があるからこそ、僕たちは安心してその場を楽しめるのではないでしょうか。
亞猫文化堂は、ただボードゲームを遊ぶ場所ではありません。 自分の「本性」を綺麗に整えて、相手の境界線を守りながら、知的に、そして誠実に目の前の盤面に没頭できる。そんな人たちが集まる場所でありたいと思っています。
誰かに無駄な希望を持たせず、自分も誰かの領域を荒らさない。 そんな「境界線の引き方」を知っている大人こそ、今一番かっこいいと僕は思うんです。
今夜、あなたが動かそうとしているその駒は、相手への「敬意」の上にありますか?